![]()

私は、熱海に住んでおります。近くには小川が流れ、
木々に囲まれ、マイナスイオンいっぱいの空気を
毎日吸うことができる最高の「イヤシロチ」です。
自然に囲まれていますと、あらためて人間が自然
の一部であることを実感できます。
自然には自然の掟があり、人間もその一部分で
ある以上、その掟にそって生きたほうが理にかな
っていると思います。その掟を、私は「自然の摂理」
と呼んでいます。今回は「自然の摂理」について、
私の考えていることをお伝えしたいと思います。
人間とは、自分を守り、仲間を守り、成長していかな
ければならない存在です。そのためには、しっかり
勉強し、「自然の摂理」といった原則を理解することが
必要です。そうすると良心も高まり、その良心に従って
生きれば仲間も増えてきます。良心とは、周りの人や
ものにとって、プラスになることを喜ぶ心のことでもある
からです。
さて、以前船井流の「勇気」とは、「良いと思うことは
すぐにやり、悪いと思うことはすぐにやめること」である
とお伝えしました。それでは、その「良い」「悪い」の
判断基準には「自然の摂理」と「良心」という2つの視点
があります。今回は、まず「自然の摂理」についてお伝え
するとして、「良心」については次回にまとめたいと思い
ます。
自然は、競争も、対立も、策略も、搾取も、秘密もない、
そして分離もされていません。
そう考えますと、われわれが経験する競争や対立などは
やはり間違っているといえるでしょう。競争よりは共生の
方がいいし、対立よりも互恵の方がいい、策略よりもある
がままの方がいいし、秘密よりも公開の方がいい、そして
分離よりも統合した方がいい・・・。このように「自然の摂理」
から考えたら、今の世の中で起こっていることはいかに
自然に反する行為が多いかがわかります。
そして、「自然の摂理」に従えば、すべてがうまくいきそうです。
「自然の摂理」には3つの大きな機能があります。
(1)調和を保ちながら、すべてのものは生成発展する。
つまり、調和的生成発展機能が常に働いている
ため、すべてのものはだんだんよくなるということ。
(2)調和を乱すものが出てきたとき、あるいは調和を
乱す状況になったときには、調和を取り戻す秩序
維持機能が働くこと。
(3)自然は非常に単純で、バランスとれていて無駄が
ない、しかも論理的でわかりやすいということ。
![]()

われわれ人間はいうまでもなく「自然」の一員です。
これまで人間は知恵を発達させ、それによって自然を
征服してきました。
しかし、征服することによって、自然体系を損なうこと
になり、生態系のバランスをも狂わせる結果を招いて
います。
ここから、学ぶべきことは、基本的には自然に順応した
方がよいということであると思います。
思い上がり、反自然行為も度がすぎると、先ほど述べた
「調和的生成発展機能」、「秩序維持機能」が働いて、
大きなこらしめを与えて目を覚まさせてくれるように
なっています。
「勇気」ある決断のために、「自然の摂理」がその指標の
ひとつであるとしているのは、こうした点が理由となって
いるのです。
マクロに見ますと、自然は、まちがった環境をつくった
時のみ競争が発生することを教えてくれていますし、
競争より助け合い教えあうことの方がベターなことは
少し勉強しますと、だれでもわかります。ともかく、本来
はまちがっていることですし、勝っても決して「幸せ」には
ならないとわかっています。競争を善として認めなけれ
ばならないのが、いまの社会システムといいますか、
資本主義が生み出した根本的な矛盾なのです。競争は、
競争相手の不幸を喜ばなければないような、人間にとって
本質的に不幸なことをつくり出します。
敗れた人々から恨まれることが、勝った自分の幸せに
なると仮定しなければならない、知的生物として最大級
の良心の矛盾を人間に与えるのが競争です。普通は
他人を不幸にし、他人から恨まれると自分も不幸に
なります。これは、「天の理」です。
自分が不幸になり他人も不幸になることを喜びとしな
ければならないのは、資本主義が陥った最大の矛盾
といえるでしょう。
自然の中で生活していますと、毎日さまざまな気づきが
あります。あらためて、自然の偉大さを感じますし、逆に
人間というのはちっぽけな存在だと思えてきます。自然
はつくづく「素直に、謙虚に、感謝して生きる」ことを、その
偉大さでもって私たちに示しているのかもしれません。
(船井幸雄談、文責・佐野浩一)


