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「名は体をあらわす」と昔からよく言われます。しかし、そもそも
名づけが先ですから、正確には「名は体をあらわすようになる」
というのが正しいのではないかと思います。
以前、落語家・林家こぶ平さんの「9代目・林家正蔵」
襲名記者会見の様子がニュース番組で報じられていました。
2005年3月21日の襲名になるそうですが、会見時は頭髪も
黒に戻し、何とも緊張し、引き締まったこぶ平さんの姿を見て、
あらためて「名前」の持つ意味について考えさせられたことを
覚えています。
「名前」が変わるというのは、一般的には、力量が認められたり、
昇進や昇格によって与えられるということを意味するようです。
相撲界、歌舞伎界、落語界、囲碁将棋界…など、日本の
伝統芸能やスポーツにおいては特によくあることです。そして、
一旦「名前」を与えられたら、「名に恥じぬよう…」ということで、
さらに精進され、名実ともに一流となられることが多いように
思います。
このように公的に与えられるものがある一方で、自分の役割を
あらわす「名前」の変化もあります。役職や職名が変わったり、
子供が生まれて「パパ」や「ママ」と呼ばれることなどもこの
ケースに含まれると思います。この場合は、必然的に行動
レベルに変化が生じてきますので、確実に「名前」が人を
つくることになりそうです。ただ、この際、その「名前」に責任を
持ち、以前より謙虚で誠実な姿勢を持てるかどうかが大切です。
たとえ、「親」という名前が与えられたとしても、親としての責任と
機能を果たしていない事件も、昨今頻発しており、私も同じ親
としてとても胸を痛めています。
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私はこれまで様々な異なる文化を持った組織の中で生きてきました。
中でも、教員時代の学校組織、つまり「職員室」というのは
特殊な環境であったと思われます。見かけ上、“校務分掌”
という一つの組織が成立していますが、その中身は職務権限が
詳細に設定されておらず、“主任”や“部長”以下はフラットな
組織となっていることが多いのです。極論すれば、“主任”や
“部長”も含めてフラットな組織といってもよいでしょう。
結局のところ、どの仕事を、どのように、どこまでやるかについては、
その人個人の主体性に委ねられているわけです。給与体系も
基本的に年功序列ですし、仕事の特殊性ということから評価制度も
ほとんどありません。よって、仕事におけるやりがいは、自身が
求める教師像をいかに追求し、実現できるかということからのみ
生まれるといえます。
大学を卒業したての若者が、ある日教壇に立った瞬間に、皆から
「先生」と呼ばれます。それを謙虚に誠実に受け止めた人は、
「先生」という「名前」に見合った人間性と教育力を身につけるため、
ある種短期間で着実に成長していきます。しかし、「先生」という
名にあぐらをかいてしまった人は、残念ながらはじめから
成長可能性を閉ざしてしまうともいえます。そうした意味で、
人財育成という概念においてとても厳しい世界なのです。
ただ一つの救いは、日々、瞬間瞬間に、子供たちとその後ろに
いるいくつかの目(保護者など)に見られ続けているという事実です。
それがあるからこそ、教員は育てられるのだろうし、成長を支え
られているのだと、今となっては確信めいたものを感じています。
つまりは、教員自身も「先生」という「名前」に守り、育てられている
ということになります。

