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船井幸雄徹底研究 Vol.9 ◆「船井幸雄」のプラス発想!◆ 前編

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前回までは、主に船井幸雄のたどってきた道のりと
そこから表出される外面について・・攻めてみました。
今回からは、船井幸雄の考え方、いわゆる「船井流」
について、私なりの未熟なる経験も含めて考えて
いきたいと思っています。


その第一弾として、今月のお題は「プラス発想」。
何しろ船井会長といえば、「プラス発想」のプロ中の
プロ。もちろん、一朝一夕にプロになられたわけでは
ありません。


船井会長だって、悪いことが重なって仕方がない……
という時期もありました。コンサルティングの仕事でも、
何をやってもうまくいかない時期をも過ごしてこられた
のです。きっと、そうした「逃げられない」状況に真剣に
立ち向かってこられた結果、真なる「プラス発想」の
境地に到達されたのだと私は思っています。


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ひるがえって私。ちょっと暗いお話をしますね。
私、実は「プラス発想」がとっても苦手でした。
特に大学時代がそうでした。軟式野球部に所属し、
守備位置はセカンド。元気と大声が評価?され、
レギュラーをとったものの、毎試合エラーを繰り返す
始末。おまけにバッティングでは、三振と凡打の山。
それでも、私がエラーをしたり、三振をすると途端に
強くなるチームで、何と最後のシーズンでは、全勝
優勝なんてやってのけてしまいました。よくいえば、
私の役割は勝利への「スイッチ」だったようです。


しかし、そんなチームの中で、私は「自信のなさ」の
かたまりのようなものでした。いつも「飛んでくるなよ。
飛んでくるなよ……」と呪文のごとく唱えていました。
高校時代、劣等生であったこと。希望する大学に入学
できなかったこと。ずっと運動部に所属していたものの、
結果として一つのことに打ち込めなかったこと。
そんな、今となっては“些細”な経験が重なり、克服
できないまま、「マイナス発想」が自分の心に蔓延
していたのです。


そのうち、やっと
「得意と思えること」「心底好きだと思えること」との
出会いがありました。
「思いをうけとり、思いを伝える仕事」
予備校や塾での講師のアルバイトです。過大評価とも
思えるくらいに認めてくれた塾長との出会い……。
そして、大学を卒業してすぐに教員になったのです。


実は、生徒たちの前では、自分自身の経験を反面教師に
見たて、熱い思いを伝え続けました。それでも、仕事が
たまるとイライラし、「マイナス発想」の自分が時折顔を
出す毎日。
だからこそ、「オレ流」をどこまでも突き進め、必死に
とんがることで、自分の「存在」を感じていたのだと
思います。


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結婚の挨拶に行ったとき、そこに「船井幸雄」が
いました。「気楽にしなさい」との言葉どおり、
肩の力が抜け、ニコニコ笑顔(そのときは微妙に
キゲンが悪かったような気もしますが……)で、
なおかつ強いエネルギーを放つ超前向きカリスマ
経営者・「船井幸雄」の姿。


結果として、披露宴の引き出物の中に入っていた
「未来へのヒント」(1994年・サンマーク出版刊)が、
まさしく私自身の未来へのヒントとなりました。
過去オール善、現状オール肯定。
自分のまわりに起こることはすべて必然必要。
だから、ベストにするよう一生懸命努力するべし。
短所は長所を引き立たせるためにつけ加え
られたもの。長所を伸ばすことに注力すれば、
人も会社も成長できる……。


こんな、超シンプルでなおかつ奥が深い「船井流」
との出会い。こんな世界や考え方があるんだ……。
まさしく「目からウロコ」でした。そして、こうした珠玉の
コトバとの出会いから、私の考え方や姿勢が大きく
変化してきたことはいうまでもありません。


今では、たいていのことを前向きにとらえられるように
なったと思っています。以前なら、何か思わぬ事態が
起きてしまったとき、おなかのあたりが「ゾーッと」する
ように感じることがよくあったのですが、それも知らない
間になくなりました。まだまだ「腹がすわった人間」の
レベルまでは程遠いのですが、それなりにどっしりと
構えられるようにもなったと自分では思っています。


月刊フナイ☆メディアより転載)

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