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私(佐野浩一)は現在のところ、2003年4月に創業しました
「株式会社本物研究所」の代表を務めさせていただいてお
ります。私にとって、「船井幸雄」は当グループ企業のオー
ナーであり、ふだんは義理の親父でもあります。
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現在、当社の事務所は、㈱船井本社、㈱船井メディア
と同じフロアにあり、それぞれが行き来できるようにな
っています。
先日、めったに現れない会長(ふだんはこのように呼ん
でいます)が、突然当社に顔を出されました。いつもの
ようにニコニコしながら、開口一番、
「~という本はないかな。佐野君のところだったらある
と思ってな……」。
思わず、私はいすから立ち上がり、
「はい、会長、その本ならございます!」
と答え、すぐさま探してお持ち帰りいただきました。
周囲を見ると、他の社員たちも同様に立ち上がって
いました。
ある社員が、「佐野社長でも、会長が来られたら緊張
するんですか?」とひとこと。
ふだんは親父であっても、やはり仕事においては
「上司」です。緊張しないわけはありません。やはり、
「船井会長」はいつも偉大な人なんです。
本田健さんが様々な書籍を通じてメンターの必要性を
説いておられますが、私にとって、経営者としてのメン
ターは間違いなく「船井幸雄」であり、密かに大ファン
のひとりでもあります。私は、37歳の時に中高校の
教員からビジネス界に転進をはかりました。
ビジネス経験0からの再スタートです。二年間、船井
総合研究所にてお世話になり、ズブの素人として「経
営者」となりました。私は経営学を学んだわけでもあり
ませんし、現在でもまだビジネス経験は四年半しかあ
りません。
そんな私が日々前向きに仕事にあたれるのは、まさに
船井会長が長年の経験からルール化されてきた「船井
流」の存在以外に理由はないと考えています。
ただし、サルマネではいけません。「船井流」を愚直に守
りながらも、「佐野浩一」がやる以上、私自身の味つけな
しにはうまく根づくはずがないのです。そんなわけで、これ
からもしっかりと船井会長の背中と「船井流」を追いかけ
ていきたいと思っています。
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ところで……。「職業」の種類は山ほどあります。その
中から、ひとつを選んで(中には複数を同時にやって
いる方もおられますが……)就職するわけです。
実際のところ、生れて20年前後の若者が、心の底
から「天職」だと確信できる職業を選択できる確率は、
そう高くはないのではないかと思います。
それでも、かつては多くが「就職」をしたのです。しかし
ながら、近年ではフリーターやニートと呼ばれる若者た
ちが増えてきています。つまり、若者たちにモラトリアム
傾向が強まってきているということです。
おもしろいことに、船井会長は転職を繰り返されています。
出発は今風にいえば「フリーター」であったことをご存じで
しょうか?
京都大学を卒業された昭和31年というのは、なかなか
の就職難の時代であったようです。もともと新聞記者を
目指していたそうですが、残念ながら志望していた新聞
社からの募集はなかったのです。
それで、仕方なしに大阪の朝日新聞社でアルバイト
を始めます。仕事内容は、週刊誌の読者ハガキの
整理だったと聞きます。
この時期には、残念ながら天職発想はおろか仕事
内容自体にもうんざりしていたようです。約一ヶ月過
ぎたころに、ある方との偶然の出会いから安全協会
に就職します。配属された付属機関である産業心理
研究所では、最初封筒の切手貼りを任されました。
同じやるのだったら、楽しく、速くやったほうがよい
ということで、数人の女性社員の中でもっとも速い
人のやり方に目をつけてマネてみたそうです。
その結果、一番速く切手貼りができる
ようになったと述懐されています。
船井会長は、これまで様々なエピソードを語っておら
れますが、今の会長からするとちょっと想像がつかな
いですね……。
(月刊フナイ☆メディアより転載)
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