第八回「丹田物語 其の五」
「ほんまものの丹田とは!」
私は幼少のみぎりより「食べ物に好き嫌いを言ってはいけない」と教えられ育ちました。食べ物の好き嫌いは人の好き嫌いにも繋がることだから言ってはいけない、ということです。
そのような教育を受けた私も、年々歳々馬齢を重ねるにつれて親の有り難い遺訓を忘れてきて、この頃では幾つかの大だいダイ嫌いなものがあるのです。
あえてこれを申しますと、嫌いなものとは病気であります。特に、ガンのような長期治療を受けざるをえない疾患が大だいダイ嫌いなのです。ですから、私は運を神仏任せにせず、身体を医者任せにしないで、どのようなことも自分が主役でやりきることを実践しております。私は病気の対極にある健康が大の好物で、その状態の中でも絶対健康の「強健」が好みです。
「気海丹田」、「臍下丹田」、単に「丹田」と約されて表現される下腹部腔の局所は、健康パワーが湧き出でる源です。ですから古人は丹田をして不老不死の源泉、不良長寿のパワースポットなどと言い伝えてきたのであります。丹田を形成することの意味こそ、健康人から絶対健康の「強健人」へ一歩進むことなのです。
同じ時間を使ってやるなら、人生で役に立つ丹田、万芸の泉とも言われる活用自在な丹田こそ欲するわけであります。しかしながら、ただ下腹部を膨らませた丹田もどきだとか、感覚で丹田を想像して意識させた状態の丹田もどきなどは強健人に至るほんまもののパワーに溢れた丹田ではありませんから、くだらない丹田はアッチ向いてポィっ!と、捨ててよいのです。
ガンにも、心臓病にも、脳疾患にも、呆けにもならないと、自信を持って堂々と宣言できる強健人は、表情が明るく、雰囲気が柔らかく、呼吸が深く、声が響き、姿勢が整って、動作が機敏であるのです。このような風格を内在させた人物は、自らの心身の状態に敏感であり、どのような環境におかれていようと自分の心身がベストの状態にあるように調整でます。
丹田効果は、勝れた人格者でも無癖七癖、凡夫ならば百八つもあるといわれる癖に気づかせ、段階を徐々に踏んで、クリーンに出来るだけの力を生み出します。また、べしからずと毀誉褒貶や常識にがんじがらめになって断崖絶壁にかかる丸木橋を渡るが如き様の人生をハッ!と気づかせ、本能と感受性を高めて、自分の魂に偽りがない至高の人生を歩むパワーを産み出しもします。
これら丹田効果が甘受できる学びが、武道の精華たる気合で腰腹同量正中心の鍛錬を行う『聖中心道肥田式強健術』という心身丸ごと大革命の体系ですが、私は十代から二十代前半にかけて、もう一つの丹田体系である「霊学」というものを学んでおります。
この「霊学」の体系は三つの学びに別れていて、気功法的な治療法の「霊術」体系、内なる本能を誘起して潜在力を発現させる「霊動」体系、丹田活性鍛練の「気合術」体系、別伝に危険術なる皮膚に針を刺す、砕いたガラスに寝る、熱湯に手を入れる、日本刀をしごく、などなどのビックリパフォーマンス技があります。「霊学」は古いふるい系譜と言われ、明治に入って松本別道師により『霊学講座』なる本が出されています。現在流行の気功法、レイキ、掌療法、手かざしなどの気による治療法の、ほぼすべての源だと言えます。
私が「霊学」を学んでいた時には、多くの同門の方がおりました。私は11年ほど学んだ26才の時に霊術師免許を頂きながら、30代で強健術に縁を賜ったことで体系から足を洗っておりました。
「肥田式強健術」で全力疾走してきた私も、この頃周りをきょろきょろ見回す余裕が生まれ世間を眺めておりましたところ、そういえば「霊学を教えている人は見あたらないな?」と気づきました。このことで思い当たるのは、昔「霊学体系から飯の種になる霊術だけを抜き出して流派を作る者が実に多い」と師匠が嘆いていたことです。
丹田活性をベースに持つ「霊学」も奥深い学びで、その真伝を知る者からすると、日本に残したい体系の一つだと思います。
そこで「元気満々にして天寿全うを歩む」をメインテーマにした『テロメア会(毎月末開催)』で基本から公開することにしました。
またこの度、本物研究所の石原学兄の後押しで、「佐々木了雲極意セミナー」として霊学体系を指導することになりました。場所は葛飾区の立石で、詳細は石原兄にお問い合わせください。
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